2015年5月16日土曜日

#01:フェオ



富はすべてに慰めとなるものだ。もし神の御前で栄誉を得たいのなら、誰もがそれを惜しげも無く授けなければならない。
富はすべての人を満たしてくれるものです。それをひとりのものにすることを神は望んでいません。それを分け与えることこそ神が望むことであり、神が富を与える理由はそこにあります。
私たちは神の望みに従って、得た富を人々に分かち与えるべきであり、そうすることで神は満足し、分かち与え者を称えるでしょう。
フェオは富という意味がありますが、この詩は富を得るということだけでなく、それを分かち合うものと捉えています。どちらかというと分かち合うことが、大切な要素であると感じられます。

もし自分の得た富を分かち合いたくなければ、それは神の意志に反したことであり、神の栄誉を得ることはできず、それだけでなく富を失うことにもなるでしょう。「惜しげも無く授けなければならない」という言葉に強い意志を感じますし、そうしなければどうなるか分からないという厳しさが読み取れます。
私たちがその富を分かち合うことができれば、人々を慰めることができ、神から栄誉を賜ることになります。分かち与えた人からの感謝を期待するべきではありません。神からの栄誉のためのみに、分かち合うことをするべきです。
富とは元々神のものです。ですから神からの栄誉だけが、その行為に対して与えられる対価になります。
ノルンによる解釈例
ウルズ:すでに富は得られている。もしそれを分かち合っていないなら、そうすることが望まれる。
ヴェルザンディ:富を得つつある。富を得ることに満足するのではなく、それを分かち合うことを考えておくべきだ。
スクルド:富を得たなら分かち合うべきだ。ひとりのものとして独占するべきではない。それに固執すれば、神の失意を招くと知っておくことだ。